2008年06月13日

2)混乱の時代

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福松(鄭成功)は1644年に成人するが、この年、李自成が北京の崇禎帝を自殺させ、明朝は滅亡。その李自成も清軍に滅ぼされるという、混沌と混乱の時代が幕を開けた。

この混乱に乗じ、鄭芝龍は唐王・朱聿鍵を擁立。隆武帝として政権を開き、清軍と対立することになる。

そして息子を隆武帝に拝謁させるが、帝は福松の偉丈な風貌に驚き、彼の背中を擦すりながら、「惜無一女配卿、卿当尽忠吾家、無相忘也」(=朕に娘がいればお前に娶らせるのだが、残念だ。我が家のために忠誠を尽くしてくれ、お互い忘れまいぞ)と言って珍重した。

そして45年には明皇帝の姓である「朱」と、名「成功」を授かり、征討大将軍印と尚方寶剣を賜った。後の人が、彼のことを「鄭成功」、「国姓爺(Koxinga:クォシンヤ)」と呼ぶようになった所以である。

しかしその後、鄭家をたて続けに不運が襲うことになる。まず,鄭氏授封の翌46年、隆武帝は北伐を敢行するも大敗し、隆武帝自身も殺される。

これを見た鄭芝龍は清朝に投降する決意を固めるが、息子はこれに苦諫。清は投降者を冷遇すると反対したのだが、父は聞く耳をもたずに投降した。根っからの商人である父には明朝への忠誠心は乏しく、利が清朝にあると見るや、さっさと旗色を変えたのである。

この父とは逆に、成功は反清の志を固めた。

それには、母の死が絡んでいた。その年の暮れ、母は福州にいたが、市街に乱入して来た清軍に強姦され自殺したという。消息を聞いた成功は憤怒の末、抗清復明を誓い、故郷の福建に戻り、廈門を根拠地として、徹底抗戦の準備を始めたのである。


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posted by leprechaun at 07:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 鄭成功 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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