2008年06月14日

5)鉄人部隊の装備

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その手には日本に委託鍛造した特殊な長刀を装備していたが、これは清軍騎兵の馬脚を切るのが主な目的であった。日本に委託したのは、中国刀は切れ味が悪く、馬脚切断には向いていなかったからである。その点、日本刀は鋭利だったし、島原の乱も終わって太平が続き、不要になった刀剣・刀工も多かったからという。

鎧そのものは槍や刀にはもちろん傷つけられないし、兜や心臓部分には、鉄砲の弾丸や砲弾の破片でも容易に貫通しないように、鍛造された鉄板で緊密に覆われていたために、防御は極めて強固であった。

優秀な防御と、鋭利な長刀。この二つの武器が、強力な野戦部隊を作り上げたのである。

また、オランダ国立図書館の文献には、次のような記載も残っている。

「----これら(鄭成功軍を指す)の兵士は三種の武器を所有する。一部隊は弓矢を背負い、左手に盾、右手に重い剣を持つ。また別の一部隊は両手に蛮刀を付けた長い棍棒(=長刀のこと)を持ち、両腕と足以外には全身鉄甲で保護され、上身は魚鱗のような鉄片に覆われている-----盾を以って身を援護しながら敵陣中へ勇猛果敢に突進し、たとえ仲間が横で倒れても、狂犬のように暴れまわって敵陣を崩すまで後を振り向かない極めて凶暴な軍隊であった-----」.

ここで述べられている「盾」とは、藤の木で作った「藤盾」で(藤牌部隊のこと。後に詳述する)、重い剣とは「雲南斬馬刀」と称して、刃部分は主に日本から輸入か技術移転で造ったものと言われている。

ここに鄭成功は、漳州の大激戦、北伐、台湾の獲得戦、その他幾多もの激戦の主戦力となる精鋭部隊を手に入れたのである。

なお後日のことになるが、康熙帝は投降した鄭軍を、黒龍江近くの辺境に移動させて、帝政ロシア軍と戦わせた。この鉄人部隊、およびに藤牌部隊の見事な活躍ぶりを見せ、ロシア人は勿論のこと、当時の世界の人々をも驚かせたのである。


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posted by leprechaun at 01:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 鄭成功 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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