2008年06月14日

6)中国刀と日本刀

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ここからはしばらく、鄭成功が珍重した日本刀剣や兜鎧等を含む、鍛造鉄器について解説してみよう。

前述したように、鄭成功の「鉄人部隊」が所有する兜鎧や刀剣の大部分は、日本製あるいは日本製をまねて造った鍛造品であった。

明末中国の刀剣は鋳造がほとんどである。炉内で溶けた鉄湯を型に流し込む鋳造品は、製造が簡単で、多量生産も可能なため、大いに流布した。しかし圧延装置も回転鋳造の技術もない当時では、薄くて良質な鉄片は作れず、中国刀はぶ厚く、切れ味も鈍かった。

日本刀は、「折れず、曲がらず、よく切れる」の三大特色を持つが、それは鉄片を叩くこと(=鍛造)により、鉄結晶が細密化し、かつ方向が揃えられ、緊密になるからである。

古代中国でも、同様に鍛造剣が造られていたのだが、鋳造技術が進歩してくると、より大量生産できる鋳造剣に取って代わられてしまった。中国刀の代表格ともいえる朴刀、青龍刀は、いずれも鋳造剣である。

一方、日本では鋳造技術の導入が遅れたため、刀剣は長年にわたって鍛造でつくられた。しかしそれが幸いし、コツコツ叩き上げる日本刀の優秀性は、明代には中国にまで知られる存在となっていたのである。

鄭成功は帰郷後、たびたび日本刀具の入手方法を探っていたが、なかなか埒があかなかった。彼は徳川幕府に、救援部隊3千と鎧兜、弓矢等の武器を要請し、徳川秀忠もそれに応じて数度に渡り幕議を開いた。しかしその最中、長崎から飛報がやってくる。福建・福州が陥落したとの知らせである。


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ラベル:日本刀
posted by leprechaun at 13:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 鄭成功 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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